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日帰り!スペシャリストと巡る 阪神間マイクロツーリズムツアー レポート!

情報掲載日:

12月5日(日)に開催しました、「日帰り!スペシャリストと巡る 阪神間マイクロツーリズムツアー」のレポートです!

スペシャリストとして、園田学園女子大学名誉教授の田辺眞人先生をお招きし、阪神間を巡りました。

10時頃に、JR芦屋駅に集合しバスで鵺塚へ!

鵺塚は、芦屋公園の中にあります。

芦屋公園は、兵庫県芦屋市にある都市公園である。別名松浜公園と呼ばれており、芦屋川左岸沿いに国道43号から河口付近まで南北にのびた公園には市木であるクロマツが約420本植えられている。面積29,433平方メートル。

京都で退治された謎の怪物【鵺】は、死んでもなお謎の存在でした。鵺の死骸を埋めた場所というのが何カ所もあります。その一つがこの芦屋の鵺塚です。

一説によると、鵺の死骸は悪疫を招くということで丸木船に乗せて川に流してしまったそうです。そしてその死骸はどうやら大阪の都島に漂着したようです(ここにも【鵺塚】が存在します)。しかしここでも悪疫をもたらしたということで、更にまた舟に乗せられた死骸は流されることになりました。最終的に漂着したのが、この芦屋の浜だったそうです。

芦屋の浜に打ち上げられた鵺の死骸でありますが、やはりここでも祟りを起こし、悪疫をまき散らしたそうです。この付近の人々は祟りを恐れて、鵺の死骸を丁寧に葬りました。それが【鵺塚】です。芦屋の浜から他所へ鵺が流れ着いたという話を聞かないので、鵺はここで本当に埋められた可能性が高いそうです。

次は、西宮神社へ!

西宮神社は 福の神として崇敬されている えびす様をおまつりする神社の総本社です。

西宮のえびす様は、古くは茅渟(ちぬの)海(うみ)と云われた大阪湾の、神戸・和田岬の沖より出現された御神像を、西宮・鳴尾の漁師がお祀りしていましたが、御神託によりそこから西の方、この西宮にお遷し、祭られたのが起源と伝えられております。

この鎮座の年代は明らかではありませんが、戎(えびす)の名は平安時代後期には 文献に度々記載されています。古社廣田神社の浜南宮の内に鎮座したえびす大神は、漁業の神として信仰されていましたが、この西宮は西国街道の宿場町としても開け、市が立ち、やがて市の神、そして商売繁盛の神様として、灘五郷の一つ西宮郷の銘酒と共に、隆盛を極めるようになります。 現在では一月九日、十日、十一日の「十日えびす」には百万人に及ぶ参拝者で賑い、阪神間最大の祭として全国に知られています。特に、十日早暁の大祭終了後の開門神事・走り参りは、福男選びとして大変な熱気につつまれます。 九月二十二日の例祭と翌日の渡御祭、和田岬までの海上渡御、産宮参りも、秋の西宮まつりとして地元の人々の大きな楽しみとなっています。 通称赤門と云われる表大門は、豊臣秀頼公の奉献によるものとされ、桃山建築の遺構を残し、その左右に連なる全長二四七メートルに及ぶ大練塀と共に重要文化財に指定されています。また境内えびすの森は兵庫県指定の天然記念物となっています。

次は、酒蔵通りにある宮水発祥之地へ!

「宮水」は、古くから西宮を含む灘五郷で造られる灘酒の品質を支える要素のひとつとして知られてきましたが、その理由は水質にあります。
宮水はミネラル分が豊富な「硬水」で、とくに酵母のはたらきを活発にするリンやカリウムや多く含まれています。一方で、酒の色や香りを悪くする鉄分は少なく、酒造りに最適なミネラルバランスとなっています。

「宮水」とは、もともとは「西宮の水」が略されたもので、その名のとおり、兵庫県西宮市の沿岸部で湧き出る井戸水を指します。

「宮水」のミネラルバランスは、独特の地形が生み出したものです。
「宮水」が湧き出る西宮市沿岸部は、古代には海の入り江で、その地下には3つの伏流水が流れ込んでいます。
そのうち2つは、海からもたらされるリンやカリウム、塩分などをたっぷりと含んでいます。残るひとつは六甲山からの急流で、豊富に含まれる酸素が鉄分と結びつき、酸化鉄として除去することで、酒造りに絶好な水質となるのです。

「宮水」が発見されたのは、江戸時代末期のこと。灘の老舗「櫻正宗(さくらまさむね)」の6代目当主、山邑太左衛門氏によるものと言われています。
当時、山邑家は西宮郷と魚崎郷に蔵を構えていましたが、同じように造っているはずなのに西宮蔵の酒のほうがおいしく、その秘密を調べるうちに、仕込み水の水質が原因ではないかと考えました。
試しに西宮蔵の井戸水を魚崎蔵でも用いたところ、同様においしい酒ができました。これが「宮水」の起源です。

そして、急遽 田辺先生の発案で辻の碑へ!

昭和40年(1965年)に市の史跡に指定された辻の碑は、西国街道と多田街道とが交叉するいわゆる「辻」に建っています。高さ92センチ、幅76センチの自然石で、鋭角を上方に向けて建てられています。平成9年末に碑を納める覆屋が新調され、石張りの広場が整備されました。

碑の表面には銘文があって、多くの文字が刻まれていたようですが、長年の風雨にさらされて摩滅し、いまでは中央上方に刻まれた一行「従東寺拾里(とうじより10里)」のほかは読み取れません。しかし、寛政10年(1798年)に刊行された『摂津名所図会(ずえ)』によると、その下には、「距関戸(せきとにいたること)七里、距須磨(すまにいたること)七里、距天王(てんのうにいたること)七里、距大小路(おおしょうじにいたること)七里」ときざまれていたそうです。

関戸・須磨・天王・大小路は下に記すように、摂津国と四方の国との国境(くにざかい)に位置する地名です。つまり、ここは京都の東寺(教王護国寺)から約40キロで、かつ、四方の国境からそれぞれ約28キロの、摂津国の中心ということになります。

昼食は、白雪ブルワリーレストラン長寿蔵にて!

お店に醸造施設あり!

伊丹が誇るクラフトビール「KONISHIビール」!世界的コンテストで金メダルを3年連続受賞(EBS2011/EBS2012/EBS2013)した「スノーブロンシュ」をはじめ、香ばしい「ブラックエール」、スッキリ美味しい「ジャパンエール」、江戸時代のレシピを再現した「幸民麦酒」の4種をご用意。手軽に飲み比べできるセットもありました!

築240年以上の酒造をリノベーション

天井の梁や柱に見られるレトロな風合いと、モダンな雰囲気が調和した空間。宴会に最適な4名テーブルを多数配した、居心地の良い広々としたビアレストランでした。15名様以上でご利用いただける半個室・10名様以上の完全個室もありありました。

そして、今回はラジオ関西でツアーの内容を12月19日に放送しました。

そのためラジオパーソナリティの谷 五郎さんにご同行いただきインタビューをしていただきました!その時のインタビュー風景です!

最後は、尼崎市立歴史博物館へ!

尼崎市立高等女学校(現・尼崎市立尼崎高等学校)」の校舎で、その後2005年まで城内中学校(移転統合により尼崎市立成良中学校へ変更)として使用されていました。

映画『ALWAYS 三丁目の夕日'64』では、建物外観が「凡天堂病院」の設定で撮影に使用されるなどしました。

田辺先生のお話の後、学芸員の桃谷和則さんに尼崎市立歴史博物館を解説付きで案内していただきました!

参加者の方へのインタビューもしていただきました。

とてもたくさんのことを学べた1日でした!

これにて、日帰り!スペシャリストと巡る 阪神間マイクロツーリズムツアー レポート!を、終わります。

ご参加いただいた皆さまありがとうございました!

これからもこのようなイベントも開催していければいいなと思っております。

今後も、あにあん俱楽部をどうぞよろしくお願いいたします!