日本遺産 銘酒の町と村上春樹|小西巧治
今回より、阪神間にゆかりのある方々の寄稿文を紹介していきます。
第一回目は、西宮芦屋研究所副所長などを務められている 小西巧治さん です。
小西巧治さんプロフィール
1948年 西宮市生まれ
神戸国際大学 非常勤講師「阪神間文化論」、西宮芦屋研究所副所長、阪神南都市型ツーリズム推進協議会委員、阪神南地域ビジョン委員会専門委員、阪神シニアカレッジ、西宮宮水学園、芦屋川カレッジなど自治体の生涯学習講座、NHK文化センター、朝日カルチャーセンターなどの講師を務める。
HP「村上春樹の西宮芦屋」開設、朝日新聞英文ウエブAJWのHanshinkan Kidシリーズ寄稿、新聞各紙への阪神間文化情報提供、NHKテレビ、関西テレビ、サンテレビ、ラジオ関西などの阪神間文化関連番組への出演など
日本遺産 銘酒の町と村上春樹
阪神間には当地ゆかりの作家が多くいても、自ら「阪神間少年」だったと語るのは 村上春樹だけである。村上は1949年に京都市に生まれ、生後まもなく両親と一緒に西宮市に移り住み、中学生の途中で芦屋市に引っ越し、1967 年に県立神戸高校を卒業、翌年に早稲田大学に入学するまで阪神間で暮らした。
村上作品のエッセイや紀行文には阪神間の地名が出てくるが、小説に出てくるのは稀である。しかし阪神間での少年時代の記憶の集積が、彼の重要な資産として多くの作品の中に、隠し絵のように散りばめられている。
このことを見つける楽しみを「あにあん倶楽部」のみなさまと共有したいと思っている。
本年6月19日に発表された「『伊丹諸白』と『灘の生一本』下り酒が生んだ銘醸地、伊丹と灘五郷」の日本遺産の認定は、次のような「日本酒」のストーリーだ。
「江戸時代に優れた技術、良質な米と水、酒輸送専用の樽廻船によって、『下り酒』を江戸へ届け、清酒のスタンダードが築かれた。伝統ある酒蔵としての矜持と進取の
気風を持った酒造家らは、その富を芸術や教育に注ぎ、クオリティの高い『阪神間文化』を育んだ」
では、これが、村上春樹とどのように関係するのであろうか。
村上作品では、登場人物がとかくよく飲む。特に、初期の作品「風の歌を聴け」や
「1973 年のピンボール」ではビールを飲みまくる。「風の歌を聴け」の次のフレーズは有名だ。
「一夏中かけて、僕と鼠はまるで何かに取り憑かれたように 25 メートル・プール一杯分ぐらいのビールを飲み干し・・・」
その後の作品中でも、多くの酒が出てくるが、ほぼ全部と言ってもよいほど洋酒だ。
「羊をめぐる冒険」にはフォア・ローゼスが、「ノルウェイの森」にはウォッカトニック、
「ねじまき鳥クロニクル」にはカティーサーク、といった具合だ。「海辺のカフカ」では、ジョニー・ウォーカーが人物として登場。「1Q84」にも、カティーサークのハイボールとオンザロック。2017年の「騎士団長殺し」に登場する酒は、バラライカというカクテルだ。このように、村上は根っからの洋酒党のようだ。
一方、村上はエッセイ「村上春樹堂の逆襲」で、日本酒を飲まなくなった経緯を説明している。
「僕は、今でも日本酒というものをほとんど飲まないが、これは学生時代に日本酒で悪酔いを続けていた後遺症である。その責任は百パーセント僕の側にあって、日本酒側にはない。もし日本酒を飲まないことで裁判にかけられたとしたら僕は一切の自己弁護を放棄してその罪に服する所存である」
酒造家寄付の図書館
村上の生い立ちは日本酒と関係が深い。京都の酒どころ伏見で生まれ、すぐにやはり酒どころの西宮に引っ越した。父親が西宮市にある中高一貫校の甲陽学院へ教師として招かれたためだ。
西宮は、清酒白鹿、白鷹、日本盛、大関など江戸時代から続く酒造メーカーが市内の酒蔵通りに軒を並べている銘酒の町だ。甲陽学院は、江戸時代から続く酒造家、 白鹿の辰馬家(辰馬本家酒造 創業 1662 年)の援助を得て大正時代に創設された財団法人辰馬学院甲陽中学校が前身の学校である。
阪神間には、もう一つ灘中学校・高等学校という中高一貫の名門校があるが、ここも、嘉納治郎右衛門(菊正宗)嘉納治兵衛(白鶴)山邑太左衛門(櫻正宗)などの酒造家によって設立されたものである。
2013年 5 月、京都での公開インタビューで、村上は「小学3年まではほとんど本を読んでいなかった。小4年以降は西宮市の図書館に自転車で通って子ども向けの本をほとんど読んだ」と語っている。
この西宮市の図書館は、村上の父千秋氏が勤務していた甲陽学院のオーナー、
辰馬家の寄付により昭和 3 年(1928 年)に建設された旧西宮市立図書館だ。
世界的に読まれている小説「海辺のカフカ」(2002年)に興味深い一節がある。
「甲村家は江戸時代からつづいている大きな造り酒屋で、先代は書籍の蒐集にかけては全国的に知られた人だった。(中略)このように第二次世界大戦以前の時代におきましては、地方行政府の手によってではなく、主に甲村家のようなディレッタント
的な性格を持つ素封家の手によって、豊かな地方文化が生まれたのです。」
「海辺のカフカ」の甲村図書館は、四国の高松にあるとされているが、この甲村家を辰馬家に置き換えれば、まさに西宮そのものだ。村上少年は酒造家がつくった学校の教員社宅に住み、同じ酒造家が市に寄贈した市立図書館に入り浸って本の面白さに目覚めた。酒造家が作った文化圏にどっぷりと浸かって育ったことがうかがえる。 阪神間には造り酒屋の「旦那」が代々蒐集してきた書画骨董を収めた美術館や 博物館、私財を投じて設立した文化施設が数多くあるが、旦那の多くは文化人的な教養を身につけ好事家でもあった。
造り酒屋の旦那衆やその他のディレッタント的素封家は、著名な文人 墨客と積極的に交わり、親交を結んでいた。このように、阪神間では、戦前から素封家による パトロン文化が花開いていたのであった。
「日本遺産認定」
以前、清酒白鹿の辰馬本家酒造相談役の辰馬章夫氏にお会いした際、村上の 日本酒観について話したところ「村上さんには、学生時代に悪酔いするような安酒ではなく、うちの美味しい酒を飲んでもらいたかった」と残念がっておられたのが印象的だった。
村上の小説を読み続けていると作品の中に出てくる酒の種類や一緒に味わう料理もだんだん多様化し、グレードアップしてきている。村上自身の円熟がうかがえるが、残念なことに依然、日本酒は出てこない。
村上の「もし僕らのことばがウィスキーであったなら」(1999 年)は、スコットランドのアイラ島やアイルランド各地を巡旅する「ウィスキー」がテーマの紀行だ。行く先々で飲むウィスキーの味わいに加え、それを生み出す蒸溜所や人々が集うバーの話もまじえている。私はこの本を読んだあと、無性に飲みたくてたまらくなり、家の近所の酒屋にスコッチ・ウイスキーを買いに行ってしまった。
今回の日本遺産認定を機に、元阪神間少年には、ぜひ灘五郷の酒蔵をルポしてもらい、 世界の読者が日本酒を飲みたくなるような文章を作品の中に残してもらいたいと願っている。